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エヴァンズヴィル (インディアナ州) : ウィキペディア日本語版
エバンズビル (インディアナ州)


エバンズビル(Evansville)は、アメリカ合衆国インディアナ州南西端に位置する中規模商工業都市。インディアナ州南西部およびイリノイ州・インディアナ州・ケンタッキー州の3州における商業、医療、文化の中心地である。バンダーバーグ郡郡庁所在地で、インディアナポリスフォートウェインに次ぐ同州第3の都市で、州南部最大の都市ある。2000年国勢調査の人口は121,582人で、2004年の推計では117,156人に減少している。ケンタッキーイリノイ両州にもまたがる都市圏では人口342,815人を数える。2010年の国勢調査によると、人口117,429人で都市圏人口は358,676人である。
市は大きく蛇行するオハイオ川中流域の北岸に位置し、''River City''という別名を持っている。現存するエンジェル・マウンズの近くに少なくとも紀元前8,000年にはマウンド・ビルダーと呼ばれる先住民が暮らしていた〔Silverberg, Robert. ''Mound Builders of Ancient America: The Archaeology of a Myth''. Greenwich, Connecticut: New York Graphic Society, Ltd., 1968, p. 322.〕。1812年、白人入植者がやってきて、1819年、町が形成された。この地域の経済基盤は安定性、多様性、存続性とされている。ニューヨーク証券取引所上場5社の本社およびNASDAQ上場2社がある。
エヴァンズヴィル大学は『USニューズ&ワールド・レポート』誌により中西部の地方大学で常に10位以内にランクされる小規模私立大学である。サザン・インディアナ大学は市境すぐ西に位置する、エヴァンズヴィル大学より規模の大きい公立大学である。ダウンタウンに位置するシグネチャー・スクールは全米の高等学校で常に10位以内にランクされるチャーター・スクールである。エヴァンズヴィル・ヴァンダーバーグ公立図書館も全米有数の図書館とされている。
この地域の最も人気のアトラクションはトロピカーナ・エヴァンズヴィルで、インディアナ州初の船型カジノである。''Kiplinger'' により、全米で「住む、働く、遊ぶ」のに適した場所として、2008年に第1位に、2009年に第11位に選ばれた。
== 歴史 ==
約200年前、移民により植民され、エヴァンズヴィルの町はオハイオ川の緩やかな馬の蹄鉄型の沿岸に形成された。もともとこの地にはミシシッピアン族のネイティブ・アメリカンが住んでいた。そこにフランス人入植者たちが住みつくようになり、オハイオ川の雄大さにより初期のフランス人探検家はこの地をフランス語で「美しい川」という意味である''La Belle Riviere''と名付けた。1812年3月27日、ヒュー・マガリー・ジュニアは定住のための土地を購入し、マガリーズ・ランディングと名付けた。1814年、人々の興味を惹くため、米英戦争ウィリアム・ハリソン少将の隊の将校ロバート・モーガン・エヴァンズ(1783年–1844年)に因んでエヴァンズヴィルと名付けた。1817年、マガリー、エヴァンズ、ジェイムス・W・ジョーンズは1814年の都市計画を大幅に見直した。1818年、ヴァンダーバーグ郡が制定され、エヴァンズヴィルが郡庁所在地となった。
蛇行するオハイオ川に面した地の利を生かし、エバンズビルは蒸気船による水上交通の要衝として、そして商業都市として栄えた。1819年には正式な町となり、1847年には市に昇格した。五大湖とオハイオ川を結ぶ''Wabash and Erie Canal'' が建築され、都市は急速に発展した。1853年、この運河が完成し、同年、エヴァンズヴィルの最初の鉄道である''Evansville and Crawfordsville Railroad'' (E&CR)がテレホートまで開通した〔。E&CRの創立者はカリフォルニア州サンディエゴの港を管理する半島に''Hotel del Coronado'' を設立した。彼は私有列車で友人達を招き、十二夜を祝ってからエヴァンズヴィルに戻った。なお、この新しいホテルは翌年の十二夜まで使われることはなかった。1890年国勢調査では、エバンズビルは全米第56位の人口規模を誇る都市へと成長した。しかし、1900年代以降はその順位は徐々に下がっていった。
1932年にはエヴァンズヴィルとケンタッキー州ヘンダーソンを結ぶ、オハイオ川を渡る最初の幹線道路橋がかけられた。1937年、オハイオ川が洪水を起こし、エバンズビルに大きな被害をもたらした。それに対し、郡および市では堤防やコンクリート製の壁、排水ポンプ場を建設して治水に努めた。
第二次世界大戦中、エバンズビルは戦車揚陸艦の内陸最大の製造所となった。またP-47Dsとして知られるP-47サンダーボルトの特別機の製造を行なっていた。この工場は後に''Whirlpool'' の電化製品、主に冷蔵庫の製造工場として使われるようになった。これらの航空機はニューヨーク州ロングアイランドの''Farmingdale'' でも製造されていた。エヴァンズヴィルの航空機の番号は末尾に「-Ra」が、ファーミンデイルの航空機には「-Re」が付けられていた。エヴァンズヴィルでは戦中、P47の約半数の6,242機が、167機の戦車揚陸艦が製造された。
1950年代初頭、製造業は急速に拡大した。1950年代も後半に入るとエバンズビルでも郊外化が進行していった。人口の流出により、商業はダウンタウンから郊外のショッピング・センターへと推移していった。1963年、インディアナ州初のモールとなるワシントン・スクエア・モールが開店した。
1970年代に入ると、エバンズビルは3州にまたがる都市圏の商業、医療、サービス業の中心地へと変遷した。1990年代には、サザン・インディアナ大学の発展に伴い、経済も再び上昇した。北郊のプリンストン市(Princeton)にトヨタ自動車が進出したり、AKスティールの工場や、オハイオ川に浮かぶインディアナ州初のカジノ船であるトロピカーナ・エヴァンズヴィル(旧カジノ・アズター)ができたりと経済の多様化が見られ、雇用に寄与するようになった。
2005年11月6日、エバンズビルで竜巻が発生し、死者24人を出した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Evansville, Indiana 」があります。



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